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サンドウィッチ伯爵の午後

2013年09月08日 12:39

それこそが根比べだ。



ハンバーガーはお好きですか?そう聞かれれば、『別に』と答える。マクドナルドの低価格はハンバーガーの地位低下に多大な貢献をしたことだろう。その貢献とは裏腹に、ごくごく低価格のもの以外はわりと高いゾという落し穴。私としては、ポテト、そうポテト。あいつの存在意義が見出せない。セットにするとついてくるアイツ。・・・いらないだろう。完全に抱き合わせ販売。嫌いなものから食べる私の性分としては、真っ先にポテトを片付けなくてはならないのに、量が結構あるという嫌々な現実に苦しめられてきた。ゆえに私はファーストフードなぞ、好んで行かない。

そもそもの話、あれらがうまいか?と聞かれれば、『別に』と答える。まぁ味の好みなど千差万別だが、うまいまずいを議論するのもバカバカしい類のものだと思う。よりおいしいハンバーガーを求めるならモスとかになるのだろうか。そこでモスに行ってみて思うのである。この値段だったら弁当買うか??

テレビで見かけたハンバーガーのお店ではゆうに1000円を超える代物を提供していた。特大だったり、素材にこだわってたりするのだろうが、やはり思う。その値段だったら違うモノ食べたいな。そもそもハンバーガーはお手軽に食べれる事が利点なのだろうから、素材やらにこだわりだすのは何か間違っている気がすると原則重視の私は思うのである。

その成り立ちを知らないが、サンドウィッチと同じようなものだろうと想像する。今は懐かしのジャポニカ学習帳にサンドウィッチ伯爵の話が載っており、私は今の今までサンドウィッチ伯爵がサンドウィッチを発明したのだとばかり思っていたが、当のサンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー氏はサンドウィッチを発明したわけでもなく、またサンドウィッチを推奨したわけでもないということを知り、『んじゃーサンドウィッチってなんなのよ!?』とその構成要素をサンドとウィッチに分解して投げつけてやりたい衝動にかられた。

まさか、日本で一番有名な伯爵であられるサンドウィッチ伯爵がガセネタだったとわ。


ここで私はハタと思い至った。『はたして日本で一番有名な伯爵は本当にサンドウィッチ伯爵か』。
伯爵というワードを元に記憶の道筋を辿ると行き着く先には“オ○ニー伯爵”が満面の笑みで立っていた。サンドウィッチ伯爵とオ○ニー伯爵を同列に並べてよいものかと悩んだが、その有名ぶりはまさに竜虎の争い、甲乙付けがたし。だが私は首をかしげた。『オ○ニーさんは伯爵だったか?』

そこで調べてみると、出典は旧約聖書の「創世記」38章に出てくるオナンさんだった。ぜんぜん伯爵じゃねーし名前“オナン”だし。
【兄が早死にしたオナンは子孫を残すべく兄嫁のタマルと結婚させられた。だが兄のために子を残す事を嫌い、イクときは棒を穴から出して地に精液を垂らして避妊した。この行為は主の怒りに触れ、主によってオナンは命を絶たれた。】

命がけじゃねぇか。

歴史において、我々はその権利を獲得する過程で血を流してきた。選挙権であったり人権であったり、今普通に当然あるとされているものは流された血の代償である事を忘れてはならない。そう、オ○ニーすら。
いわば草分け的初代はその行為ゆえに血どころか精液、ひいては命を落とし、誰もが直接的にしろ間接的にしろ名を知る歴史上?最も有名な男はなんつーかもうくっだらねぇ死に方したもんだ。

ところでwikiをみてみるに、オ○ニーが聖書でいうところの罪に値するかどうかが古来より議論の的であるらしい。この“古来より”ってところに私は胸トキメかせる。
例えば375年、ゲルマン民族の大移動が始まり、この100年のちくらいに西ローマ帝国は滅亡。未曾有の混乱の中、私たちは話し合う。

『はたしてオ○ニーは有罪か?』

例えば751年、キルギスのタラス河畔で起こった唐とアッバース朝の戦いによって、製紙法が西側に伝わった世界史上大きな出来事。ちょうど唐軍の捕虜から製紙法を聞き出しているまさにその時、この時も私たちは話し合っていた。

『はたしてオ○ニーは有罪か?』

例えば1189年からオールスターともいえる第三回十字軍がおこる。ヨーロッパから向かうのは中世において騎士の模範とされた獅子心王リチャード一世。対するはイスラムの英雄サラディン。歴史に残る熱い戦いが行われている最中、リチャード一世の勝利を確信し、戦の行く末そっちのけで私たちはツバを飛ばしあっていた。

『はたしてオ○ニー(ry』

そして2013年、ローマでは数百年ぶりに生存中の法王交代劇、コンクラーべで湧き上がっていた。そんな中私は声を大にして叫ぶ。

『もう許してください!』


私はこんなことで裁判にかけられるのはまっぴらごめんである。
汝まことにイタシタのか?
と詰問され、イエスと答えようものなら多くの聴衆たちが『おぉ神よ』と首を振って嘆く。嘆くな、子羊たちよ。


キミはまだ許さないのか?私はすでに私を許しているというのに。
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