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考えたところで結局は所詮、葦

2011年10月05日 11:06

熟考



『人間は考える葦である』とは有名なブレーズ・パスカルの言葉だが、身近な人がある日突然こんな事を言い出したらちょっと不気味である。
例えば我が家のお隣さんの川島さん、40歳前後で奥さんとお子さんは小学生の高学年くらいの女の子が2人いる。
ある日の休日、リビングでテレビを見ているとピンポンとドアフォンが鳴って外に出てみるとその川島さんがいて、『りゅぢ君、人間は考える葦なんだよっ!』なんて言われた日には「ですよね~だと思いました~」と、とりあえず口裏を合わせて逆らわないようにしたい。
とはいえこの『考える葦』ってのは、人間ってば小さい存在だけど考える事で宇宙も越えるぜ!という壮大な哲学者としての宣言らしい。

ゆえにりゅぢ氏も先日の休日は考えた。
一日まるまる考えてようやく結論が出たんだけど、聞いてもらっていいかな?
そう、日曜日はとくにやることもなく、本読むのにも飽きたのでボーっと空を眺めて考え結論した。


『宝の地図は存在しない』

これに尽きる。
そんな事を言うと、夢がないのね、とか言われるかもしれないが、そもそもこの宝の地図自体夢のない創造物だと思う。
それが存在している以上どなた様かが作ったわけで、なんで作ったの?と思わざるを得ない。
なんで?と問われれば、忘れたとき用と思わしき備忘録。
忘れるか?普通。宝のありかを。
なのでそんなもん作るはずがないと結論に至る。
子孫の為にという可能性もなきにしもあらずだが、まず自分の子供に相続してやれよと思う。

故に君の持っているその宝の地図は偽者である。
誰かが面白半分で作った代物、もしそれを握り締めて大海原に筏みたいので旅立とうとするなら殴っててでも止める心意気を先日固めた。

これが私の休日の過ごし方である。非常に有意義だ。
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