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メリー

2012年12月25日 12:21

マンネリ



毎年毎年クリスマスがやってきて、それなりに世間様を騒がすイベントだけん無視するわけにもいかないが、そんなにきっちしやってこられてももうお前について書くことがありません。なんやかんやとそんなに毎回私自身にイベントがやってくるわけでもなく、むしろ年中行事は極力スルーしてなかったことにするタイプなので平日以上に平日然とした過ごし方をしている事を今告白しよう。クリスマスに告白はつきものである。
だが平日然としている私とは裏腹に、いや私が裏のほうなのだが、世間様は大賑わいである。飛んで火に入る虫のようにわらわらとイルミネーションに人が集まっており、この後生殖した後オスどもは力尽きて死んでいくのだろう。いと哀れでこれ季節の風物詩である。

ところで事ここにあらず、我々が気にすべき問題はここではない。そのことに諸君はいかほどお気づきか?今日の主役は十字架に架けられた聖職者でも、股間の十字架から何かをほとばしりたい生殖者でもなく、白髭のじいさんである。そう、サンタクロースだ。
私はかねがね気になっていたのだが、サンタクロースとは個人名か職業名か企業名か?いったいどれなのだろう。ずっと職業名だと思っていた。しかし個人名だとおっしゃる方の方が多いようだが皆様につきましてはいかがお考えか?
私がクロースを職業と考えるにはわけがある。いわばクロースはUMAのようなものであり、姿形は誰もが知っているが実際の目撃例はほとんどない。ほとんどないながらも知っているのは数々の文献や彼の所業を称えた歌などが巷に溢れているからだ。
そこでその歌から思うに、コンプレックスに悩むトナカイに対し『むしろそこがイイっ、』とポジティブに励ますあたり、なかなかの懐の深さを感じる。しかし一方で、煙突から落ちたりプレゼント忘れたりとおっちょこちょいな歌もある。私には前者のダンディで懐深き男と後者のうっかりさんが同一人物とはとても思えない。
故にサンタクロースは職業であると昔から思い込んでいたんだが、最近慌てん坊だからこそトナカイの赤鼻見て『夜道を明るく照らせる』って勘違いしたのかな?と思った。照らせねーよ、悪口じゃん。そうするとこの歌で歌われているサンタクロースは慌てん坊な同一人物ということになり、個人名でも筋が通るじゃん、ってことになったがここで入った一報が我々捜査陣を大混乱の渦に叩き込んだ。

『恋人がサンタクロースです』

キチガイかイタズラか、そんなこという女がいるんすよ。いやーマイッタ、メリークリスマス。
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ホトトギス

2012年12月21日 05:16

甘栗、剥いちゃいましょう。



信長・秀吉・家康の性格を例えたホトトギスの短歌ですが、えぇあの有名な『鳴かぬなら~』ってやつです。あの短歌をモチーフに怒髪天がホトトギスって曲を出していて、『鳴かぬなら俺は自分で鳴く』って歌詞なんですね。まぁまぁ怒髪天を知らない人からしたら、ホトトギスの鳴き声聞きたいのにお前が鳴いてどうすんね?な感じでしょうけど、それは置いといてください。ついでに言うと、ここまでの文章まるっと置いといてください。


さてね、甘栗剥いちゃいました。
なんの事っちゃ?と思った方は話を最後まで聞く癖をつけた方がよいですよ。もう10何年前から『甘栗剥いちゃいました』ってのはあるけど、ここ数年かな、剥いてはいないけど殻に切れ目が入れてあるヤツをみかけるようになった。初めてそれを見たときは、『殻つき!』って殻がついてることがさもスゴイかのようにアピールした包装に“いや、これはメーカー側の怠惰だ!"と思った次第である。私は基本ラブ&ピースで夢見がちな平和主義者なので、レット・イット・ビー、されるがままな至れり尽くせりがうれしい。果物は剥いてからもってきてください。カシスオレンジは混ぜてからもってきてください。そしてクリは剥け!

なのにこいつはどうだ?切れ目が入って確かに殻を取りやすいが、殻は誰が剥くんだ?コンビニで売ってるオニギリに『手むすびおにぎり』って書いてあってさも手でにぎったから美味しいですよ的な感じだが、海苔を巻くのは自分の手だから何?手むすびってにぎるの自分?と釈然としないモヤモヤに包まれる感覚に似ている。いや似てないかもしれない。

私の個人的見解だと、皮がついてようがいまいが大差ないのだがうちの思い込みが激しい父は『やっぱり栗は皮がついてるほうがうまいよな!?』としきりに同意を求めてきてウザいことこの上ないので、ある一部の層にはばっちし需要があるようだ。
以前もお伝えしたかもしれないが、『甘栗剥いちゃいました』なんて軽くオチャッピーに誤魔化して、ノリで剥いてしまったかのような言い回しだが、体育館より広い工場に押し込められた何百という中国人たちがナイフ片手に一心不乱に手作業で一日中甘栗と格闘していることを知れば、『甘栗剥いて頂きました』くらいの敬意を払ってもいい気もする。そして近年、剥かずに切れ目を入れるだけのいわば簡易な甘栗が流通し始めた事を思うと、『すわ大量リストラか?』と王さんや張さんや宋さんが路頭に迷う姿を思い浮かべては涙にくれる毎日である。

故に私は甘栗剥いちゃいましたを食べている。例え思い込みに激しいどこかのバカ親父が隣で『美味くねぇ、皮のついてない栗はやっぱりうまくね。なぁそうだろ?ブラザー?』としきりに同意を求めてきてこの上なくウザかったとしても、やはりここは譲れない一線、私は剥いて頂いた甘栗を数多の罵りと共に飲み込もう。

ところで前置きの長さに辟易してきた頃合いだろうが、話ここに至るきっかけは、『甘栗剥いちゃいました』の袋を開けて取り出したら剥けてない普通の甘栗が出てきたらどうするかな?と思って楽しくなったことによる。実際のところ出てきたのは殻のついてない剥けちゃった甘栗だったのだが、想像膨らみこれがかなり楽しくて一人ほくそ笑んでしまった。

甘栗剥けてないじゃん!

ベタにそう叫ぶだろうか?うちの過激な闘争士である父がそんな目にあおうものなら、即刻メーカーに電話して『うちは出るとこ出てもいいんだぞ!』と裁判チラつかせて脅迫まがいな事をしだすに違いない。散々揉めに揉めて、いくらかかろうがシロクロつけてやると電話口で息巻くくせに結局最後には『私としてはそちらが謝ってくれさえすればそれでいいんです』と今までの話はなんだったの?と妙に物分りがいい終わりを毎回迎えるので、お前は工場行って栗でも剥いとけ!と、正月は神社に7月には短冊に、そして今はサンタクロースにお願いしているところである。
一方、私ならどうするか?恐らくそういうものだと納得して、自分で剥いて食べるだろう。大した手間でもないし、クレームつけるほどでもないでしょう。

ここで私は思うのである。甘栗剥いちゃいましたから剥いてない甘栗が出てきた時にどのような対応するかで人間性が現れる、と。

①剥けぬなら、切り落としてしまえ、甘栗
②剥けぬなら、剥かせてみよう、甘栗
③剥けぬなら、剥けるまで待とう、甘栗

①はパイプカットである。いくらなんでも決断早すぎだ。もっと信頼できる友達や医者に相談してくれれば良かったのに。
②はだいぶ自信があるようだが、ほんとに大丈夫?いざコトそこに至り、パンツを降ろして出てきたものは粗末なイチモツ。さぁ剥け!と命令されてもドン引きドン引き。もっと信頼できる友達や医者に相談してくれればなぁ。
③はもう剥けるコトは一生ない。待ちぼうけである。何を勘違いしたのか、また何を待っているのか、果報は寝て待て?冗談じゃない、君はただただ怖いだけだ。現実から目を逸らしたところでなにも変わりゃせんよ。もっと信頼できる(ry


だから私は思うのである。剥けぬなら、自分で剥け!と。信長も秀吉も家康も間違っている、鳴かぬなら自分で鳴けよと思うのです。甘栗の話だけど。

メランコリア

2012年12月20日 07:33

憂鬱



なんとなく、その選択が思いもせずに落とし穴になることなんてままあるもんよ。そんな時は運が悪かったと諦めるしかない。そん時ゃそん時でしょ。そうやって笑い飛ばすんだ、不運を。
そして私は昨日、人身事故の電車にあたった。とても憂鬱な気持ちになったので、できる限りの詳細を綴ってこの気持ちを共有したい。なぜならひとりぼっちほど憎むべき境遇はなく、百人揃えば怖くない、キミもボクもレッツ憂鬱。はた迷惑に憂鬱をデリバリー!的な。

昨日は寒かった。普段ならバイクで出かけるとこを電車にしたのは、『なんとなく』それだけだった。急がない人生だし各駅電車に乗るのが常だったが、たまたま来ていた準特急に乗り込んだのもまた『なんとなく』だった。
府中駅を発車した電車が二駅目、多磨霊園の駅を通過する際ブレーキをかけた。身体にかかる慣性の法則、あれ?こんなとこでブレーキ?なんかあったかな?
ブレーキをかけたところで電車は急には止まらない。減速している間がやけに長く感じた。

ドンッと鈍い衝撃と甲高い『何かを巻き込む音』がカラカラカラと足元で鳴った。私はいつも電車じゃ先頭車両、ドンッて衝撃も足元のなにかを巻き込む音の振動も直に感じた。
嫌な感じはしたものの、甲高い音だっただけにホームを歩いてた人がちょっとぶつかって杖でも巻き込んだかな?と思った。

甲高い音が鈍い音に変わり、それでも電車は減速しつつも走り続けてやがて音はしなくなり、電車もとまった。
車内は静まり返り、放送が流れる。

『お急ぎのところ申し訳ございません。この電車で人身事故が発生しました。』

どよーん。やっぱり。
その後何度も車内放送が流れたが、人身事故が発生したこと、安全確認をしていることを繰り返し言うだけだった。
私としてはすでに人を跳ね飛ばしているのだから安全確認も何もあったもんじゃないと思うのだが、とにかく安全確認を繰り返した。
パトカーの赤い光が集まってきて、車掌も電車を降りたり青いつなぎの黄色いヘルメットをかぶったおっさんたちも現れ外が慌ただしくなった。
ヘルメットのおっさんは懐中電灯を手に持ち、前から順番に電車の下を覗き込んでいる。おいおい、あいつ絶対なんか探してるよ。何探してるんだよ、このタイミングで!前から3ドア目、そのドア付近が私の場所だ。

1ドア目、見つからない。
2ドア目、見つからない。
そして3ドア目、、、

セーフ!!見つからなかった!良かった、ほんとにここじゃなくて良かった!!
通り過ぎて行くおっさんに安堵で胸をなでおろす。

『ありました!3両目です!』

叫ぶな、そんなことは叫ぶんじゃないよキミ。しかし随分後ろまで、、あ、うん、想像したくもない。
その後、車内放送は警察の現場検証が行われていること、そしてどら焼きに店の名前を焼きごてで刻印するかのように何度も『この電車で人身事故が発生した』ことを私の心に焼き付けた。お願い、もう言わないで。

『お忙しいところ申し訳ございません。ただいま遺体(異物?)を取り除いております。』

いーやー!言わないでいいから!楽しい話して!奥さんとの馴れ初めとかでも喜んできくからー!!

ところで阿呆はどこでもいるもんで、観にくるやつが結構いた。先頭車両まで歩いてきて外を眺める。何考えてんだろ?絶対いいもんじゃないのに。電車が動いて、調布駅で回送になったので全員降ろされたんだけど、先頭を観にくるやつの多いこと多いこと。血塗れの図でも想像して写メるつもりなのかな。

兎にも角にも、あのぶつかった時の物理的な衝撃、巻き込んだ時の音、これはちょっと忘れられないなー。

生涯、忘れることはないでしょう。ってaikoの歌詞にあったよね。

とっても憂鬱。あのドンッて鈍い衝撃がとっても憂鬱。

さらに憂鬱な話になるが、気になったことはすぐに調べる癖のせいで、動かない電車の手持ち無沙汰の中、人身事故についてクグった。
私は『すでに跳ね飛ばしたのに安全確認もあるもんか』、と先ほど言った。これは正確には正しくないようだ。
人体は70パーセントくらい?は水分なので、強い衝撃を受けると、ね、ほら、水風船って地面に叩きつけるとさ、破裂するじゃない?みなまでいうな、そういうこと。新幹線くらい早いやつにぶつかると破裂というより文字通り霧のように霧散するらしい。

よく分かった、気をつけよう。


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