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不敗である、いつまでも不敗である

2011年12月28日 18:11

SEXとドラッグとロックンロール



19○○代を一言でいう時、もしくは俺の若い頃は云々、、、そうだね、ベトナム戦争あたりのヒッピーとかLOVE&ピースな世代を表す場合、この「SEXとドラッグとロックンロール」が使われるコトがあると思う。あくまで気がするくらいの淡い思い込みだけど。
退廃的、反社会的な響きが何ともアウトローな香りでカッコいいじゃない。
翻ってみるにボクらの世代を表す標語は何だろう?
2000年付近の青春世代、バブルには乗り遅れて不景気と言われ続けた世代。
Y2K世代?あったなY2K、そんなん。
オタク、引きこもり、草食化?
数十年後にそんな評価されるなんて、嫌だなぁ。

「闘争の時代」もあったわけで、でも普通に考えて誰もが学生闘争に明け暮れてたわけでもないはずで、中には不戦敗してた草食動物もいるはずなのに、総称して「闘争の時代」。
「闘争世代の生き残り」なんて肩書きついてても、その人本当に闘ってたかなんて分かりませんよー、逃げ回って生き残ったの?そもそも闘ってない?明治維新では有能な一級品はみんな死んじまって、残ったのは二流な人物だらけでしたね。
と、いうわけで、普通に生活してたとしてもボクらの世代は、数十年後、引きこもり世代としてバラエティ番組に登場することになるんだよ。「ようやく出てた最後の引きこもり!」とテロップ付きで。

イヤすぎる。

故にここでトライしよう、SEXとドラッグとロックンロール!


SEXはまぁどうにかなるだろう。これを嘯いてる世代もそればかりしてたというより、SEXのことばかり考えてたというのが実情だろう。ちょっとモッてる、まぁ見栄っ張りなもんだ。
ドラッグはどう頑張ってもバファリン程度だ。つーか、昔みたいに緩くないし。ちょっと前の文学読むとみんなヒロポンやってんじゃん。なんじゃこりゃ。
そしてロックンロール!って反体制?究極の反体制ってつまり生産活動の放棄?
それって今の時代じゃ『ニート』と呼ぶ。

結局のところ、ボクらは無気力世代。草食というより草そのものになったわけ。
んで、周りに食べられていくんだぁ。
消化されて排泄されて、土に戻ってそしてまた芽生える。循環循環、再生の繰り返し。
ある意味、不死鳥。
その過程に『うんこ』があるのがひっかかるが、一応不死鳥の端くれさ。

そうして高らかに叫ぼう、『私たちは不死鳥ゆえに負けたことがない!』と。
無気力世代なぞと呼ぶ勿れ。いうなれば常勝世代、いや勝ってないからむしろ不敗世代だ。
負けたことがない、なぜなら戦ったことがないから。

後世、どこで間違ったか、誤変換によって腐敗世代と呼ばれることになりそうだ。それもよかろう。
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完全犯罪の勧め

2011年12月26日 06:11

かのものはニセモノなり



森博嗣の短編集を読んでたら、こんな感じの記述があった。
「ミッキーマウスのかぶり物を着て犯罪を犯せば完全犯罪が成立する。」

どういうコトかというと、ミッキーは世界で一人なので、まぁそういうコトだ。
パレードでもあれば、いわゆるアリバイが成立するわけで、ミッキーに犯行が行えた分けない!となるわけだ。
こんなコト考える森博嗣が最高にオモシロイ。

現実感溢れるボクらは普通に思う、中に入ってる人が違うんでしょと。
いや、しかしキミ、誰が言った?ミッキーの中に人がいるなんて!?
ミッキーはミッキーであって、人が入ってるはずないじゃないか?
近くにいけば、意外に獣臭いし、握手した後は細菌とか多いから手を洗わないといけない。
だからマスコミが書き上げる「犯人はミッキー?」の見出しをそりゃもう全否定だ。
あれだけワールドワイドに活躍するネズミである、会見だろうが事情聴取だろうが日本語対応可だ。

「ボク、犯行なんてしてないよ。パレードでてたし。」
なじみ深い甲高い声で言うだろう。

そして犯人が捕まって、ミッキー側は訴える、「イメージ悪化させられ被害をこうむった。」
本物のミッキーは傍聴席で自分を偽った憎き犯人を真摯な目で見つめる。
必要とあれば証人台にも立つ構えだ、あのネズミ。
厳かな雰囲気の中、やっぱり気になるあいつはオーパーツ。

何がオモシロイって、結局ミッキーは世界で一人だから、裁判でてる間は他のディズニーには出演出来ずに「ミッキーは日本で裁判中なので今日はお休みです。」の立看板。


あなたの初雪をください、と言う

2011年12月23日 07:36

考察しよう



人はみな生きてくうえで何かを求めている。
食欲・性欲・睡眠欲、その他諸々微々いたるまで数え上げればきりがない。
ここではないどこかへ。
もっと似合うシンプルスカイ。
そうやって満たされぬ何かを求め、求め求めるのである。

と、前置き。覚えといてね。


さて時期柄、サンタクロースをよく見る。
先日は夜遅く車で甲州街道を走っていると、歩道をクロース歩いてたよ。
そして昨夜、サンタクロースがやってきた。

クロース、女。
しかも複数。


不思議なもので、サンタコスの女性は可愛く見える。
フェチに関しては、『左利きフェチ』以外に特にこれといって主義主張はないのだが、それでもサンタコスを可愛いと思ってしまう自分がいるのだよ。
はたしていかに、これいかに。なぜだろう。
クロースはいわばジイサンであり、ジイサンの服装を着た女性がなぜ可愛いのか?
萌え度がアップするのは何故だろう。
例えば、競馬や競輪に行くようなおっさんのカッコをしても俄然萌えない、萌えるわけあらいでか。
しかし、あの赤と白の魅惑の衣装、プレゼントは君自身だろ?そう人差し指突き立て叫びたい。そんな気持ちにさせてくれるじゃぁないか。同じジイサンの衣装でも赤いちゃんちゃんこじゃぁダメだ。白い要素が入ってないとダメなんだ。

○小林くんの考え
『ギャップ萌え』
うーんどうだろう?ジイサンとのギャップに萌えるってわけだろう?なんだか方向性が違う気がする。

○小林君の考えその2
『衣装の材質、モフモフ感』
分かるっ。これは分かるぞ。
あのモフモフふわふわしたのに身をつつまれているのを見ると、こうギュッとしたくなるというかなんというか。
と、小林くんは言いました。
しかしだ、テラッテラのサンタ衣装でもそれはそれでいいんじゃないか?興奮するんじゃないか?かわいんじゃないか?という話になり、材質は関係ないな、それが直接の要因ではないな、ということで落ち着いた。

○りゅぢ氏の考え。
『何かくれそうな気がするんじゃないかな』
サンタ=プレゼントをくれる人
つまり、女性サンタはボクに何かをくれるかもしれない、いや、きっとくれるに違いない。
そういう萌え。というか、期待。
つまり、人は生きていくうえで何かを求めているんだよっ!

そうしてやってきた女サンタクロース、当然彼女も何かを求めている。
きっと言うだろう、『あなたの初雪をください』。

と、いうシモネタ締め。

半分信じる者は救われるか否か

2011年12月17日 11:35

シーズン



とかく街の様相もすっかりクリスマスに染まり、サンタのおっさんも荷造り終わった頃でしょうか?
先日、ボクはトナカイを見ました。
とはいっても、もちろん本物ではなくこの時期増えるなんちゃってトナカイさんです。

昼食でファミレスに入ると、店内はまったくクリスマスっぽくはなかったのですが、何故かパートのおばちゃんがトナカイの角をつけていたのです。
何人か店員はいたと思うのですが、角をつけてトナカイに扮しているのは彼女一人だけでした。
これまたやる気がないを通り越して無表情で淡々と仕事してました。
あえてその被り物をしているのだから、少しくらい浮かれても、というかむしろ浮かれなければならないシチュエーションだと思うのですが、どちらかといえば『家出るときからかぶってます。寝るときもかぶってます。』というくらいの平坦さ。もう被っていることすら忘れているような平常心がそこに見えました。

その平常心は不機嫌さと紙一重。

嫌ならかぶらなければいい、そうは思えど罰ゲーム的な産物かもしれない。
だとしたら不幸な話である。
クリスマスだからトナカイかぶれ、その思い込みがそもそもトナカイにとって不幸。
ゆえに常日頃から私は主張する。

『トナカイは世襲制にするべきだ。』


ところでサンタのおっさんと赤鼻のトナカイの関係はどういったものだろうか。
ずっとビジネスライクな関係だと思っていた。
クリスマスの頃になると連絡を取り合い『今年もよろしくな』「あぁ、あけてあるよ」『鼻、もう赤い?』「もうちょっと経てば本気でるよ」的な。そんな関係だと思ってた。
でもそんな話をしたら、小林くんたらサンタのおっさんが飼っているのがトナカイだと言う。
小さな家があって柵に囲まれた所にトナカイが飼われている、そんな光景。
いやいや、そんな主従関係、夢がないじゃないか。2人は対等だとボクは思うよ。
そんな事言うと、『サンタのおっさんとトナカイさんはお友達だ』と主張される方もいるだろうが、歳くったおっさんもといおじいさんがトナカイと友達だなんて寂しすぎる。イヤダヨ夢がない。

ゆえに他はどうだか知らんがうちのサンタはビジネスライクでトナカイと付き合ってて、その上トナカイの方は世襲制で仕事にプライドを持っているモノとして決定した。
昔、「墓守」という職業があって、たんに王様のお墓のそばに暮らしてるだけでなんとなく墓を守ってる、そんな曖昧な感じだったけど、そこに住む墓守の子孫たちは『自分は墓を守ってるんだ』というプライドを持って暮らしていたという。これぞ伝統の重み。親から子へ代々受け継がれてきたものが尊い輝きを持つというもの。それが世襲制。


ちなみに姉の子供のサンタについてのコメント。

『サンタクロースって実在するんでしょ?でももう死んじゃってるよね。』


信じているんだか信じていないんだか、どっちかにして欲しい。

成長と老化における自然の摂理の段階に

2011年12月12日 02:59

イントネーション



『おやじギャグが得意なんだ!』

ある日ある時ある瞬間、脈絡もなく姉の息子がそのように言った。
それはまるで啓示を受けたジャンヌ・ダルクさながらに唐突の宣言であり、奴隷解放を叫んだアメリカ初代大統領リンカーンのように確固たる自信・信念に満ち溢れていた。
ならばならばーと私はたずねた。「なんか言ってくれ。」
しかし彼は『うへぇぇ~えぇ~』と照れて中々言わない。
いやいや、キミ、自分から前フリしといて言わないとか意味分からないから。おやじギャグ得意の意味すらまだ分かってないから、俺。


『んじゃ、行くよ。言うよ。しっかり聞いててね。』

どんだけ自分でハードルをあげるんだ?キミわ。高すぎるハードルは危険です。身の丈にあってない場合、気を利かせて下げてやるのがせめてもの武士の情け。

「しっかりは聞かないし、聞きたくもない。もっというと興味ないからラジオのようにおやじギャグ独りで言ってて。」

やさしさである。


『箪笥、おい!タンス。』

言うんだ!?

で、え?どこがギャグ?
私には理不尽に怒るプロレスラーの姿が一瞬見えた。
「オイコラ、タコ、コラ」と怒る姿が垣間見えた。
キミはなぜ箪笥に切れているの?

『切れてないよ!もー分かんない?箪笥、おい、タンスだよ。』

「もしかして、、、置いたンス?」『そう。』


イントネーション!
“置いた”に“ンス”をつける感じで言わないと分からないよ。
『そっか。』と納得してイントネーションの練習に余念がない姉の息子。
そうやって切磋琢磨し、将来は誰もを感動させるおやじギャグの第一人者になってもらいたい。
だがな、はっきり言っておこう。


「おやじになれば自然と誰でもいうようになるんだ。何も好き好んで今からおやじギャグ言う必要はない。」

それが摂理。自然の摂理。


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